1999年オオヒシクイ首輪調査報告会

1999/09/05 琵琶湖水鳥・湿地センター

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日時

1999年9月5日(日) 13:30-15:30

場所

琵琶湖水鳥・湿地センター(滋賀県東浅井郡湖北町今西)

次第

 調査の概略
清水 幸男 (琵琶湖水鳥・湿地センター)


 調査報告
村上 悟 (滋賀県立大学院修士課程1年)

主催

湖北野鳥センター
琵琶湖水鳥・湿地センター

1999年9月5日,琵琶湖水鳥・湿地センターにて,「オオヒシクイ首輪調査報告会」が開催されました.43名の参加者があり準備された資料が不足するほどの盛況でした.昨年秋から冬に両センターにて実施した「オオヒシクイカンパ」を元に,10個の調査用首輪を依頼し,何百人もの方々の寄せ書きをした旗とともに琵琶湖の代表として,村上悟さんに調査に参加をしていただきました.約1ヶ月におよぶカムチャツカ調査行の様子を,スライド・ビデオを交えながら報告いただき,実にわかり易い興味ある会になりました.
 琵琶湖のオオヒシクイも生息場所がどんどん狭められて,野鳥センター前の水域と浅井町の西池だけになってしまい,危機的な状況におかれています.これらの活動を通じて一人でも多くの人に関心を持ってもらい,オオヒシクイをはじめとする多くの野鳥達が安心して生息できる琵琶湖を守って行きたいと思います.今後も機会があればどんどん調査の報告会を実施したいと思っています.  (琵琶湖水鳥・湿地センター 清水 幸男)


▲top ▼報告

オオヒシクイ調査の概略

清水 幸男 (琵琶湖水鳥・湿地センター)

 1998年10月18日,ユーラ・ゲラシモフ博士(ロシア科学アカデミー極東支部 カムチャツカ生態自然利用研究室)の講演会を琵琶湖水鳥・湿地センターで行ない,その後案内兼通訳として同行された「雁の里親友の会事務局長」の池内俊雄氏と相談し,オオヒシクイの調査に参画,支援するためのカンパ活動を行なった.
 これは一口5000円の里親(首輪1個を購入する)を,少なくとも琵琶湖から10口は協力すると共に,オオヒシクイの故郷でもあるカムチャツカを訪ね,直接首輪を装着する調査に参加することを目的として始めたものである.

雁の里親代表者名簿

K00

・・・

肥田 嘉昭

K01

・・・

清水 幸男

K02

・・・

村上 悟

K03

・・・

石井 光弘

K04

・・・

仁科 久雄

K05

・・・

山崎 歩

K06

・・・

西村 武司

K07

・・・

村田 良文

K08

・・・

口分田 政博

K09

・・・

朝日小学校

 1998年11月から1999年2月まで「オオヒシクイカンパ」を行ない,「雁の里親友の会」作成のカレンダー(1997年用)を300部頂き,それをカンパされた方にお礼として配布したが,瞬く間になくなってしまった.途中より多くの方々の気持ちをカムチャツカへ直接持って行くために,琵琶湖とオオヒシクイ・日本とロシアの国旗を配置した大きな旗を作り寄せ書きを依頼した.この旗には350名以上の方々が署名をされた.この結果約10万円ものカンパが集まり,10口の里親(右表に10名の代表者)を登録すると共に残りは調査行の旅費に使用させてもらった.首輪は湖北を表すK00K09で,代表者の名前を刻印してカムチャツカへと旅立って行った.
 当初,センターの清水と村上悟氏(滋賀県立大学院修士課程1年)が行く予定であったが,調査期間が4週間に延びたため村上氏が琵琶湖を代表して参加してくれた.6月28日に新潟を出発し,7月23日帰国の間に10個の首輪は無事オオヒシクイに装着された.又,先立って行なわれた豊栄市グループによる繁殖調査では,オオヒシクイのヒナ6羽が見つかりカムチャツカが故郷であることが確認された.
 今秋飛来するオオヒシクイの中に,これらの首輪をつけた個体が入れば琵琶湖にとって重大ニュースであり,村上氏にとっても感激的な再会となる.カンパをしてくれた多くの方々と共に,オオヒシクイをはじめとする多くの野鳥達が,安心して生息できる琵琶湖であることをこころより願ってやまないものである.


▲▲top ▲概略

オオヒシクイ首輪調査報告

村上 悟 (滋賀県立大学院修士課程1年)

1■調査の背景

 オオヒシクイの首輪標識調査は,宮城県に事務所を持つ日本雁を保護する会と雁の里親友の会によって,カムチャツカのニコライ・N・ゲラシモフ博士及びユーリ・N・ゲラシモフ博士の協力を得て行なわれている.1980年代から始まったこの調査はオオヒシクイの渡りルートの解明や個体識別による行動調査等に役立ってきた.
 これまで琵琶湖にも首輪をつけたオオヒシクイが来ていたが,滋賀県在住者では調査に参加したものがいなかった.
 昨年の秋にカムチャツカのユーリ・ゲラシモフ氏が講演に来てくださったこともきっかけとなって,野鳥センターおよび琵琶湖水鳥・湿地センターで首輪標識調査のために募金活動を行なったところ,10個の標識首輪を購入することができた.この首輪を持参し,琵琶湖水鳥・湿地センターの清水幸男氏と私の2人が参加する予定だったが,清水氏の予定が合わず,私一人が参加させていただいた.

2■調査の目的

 オオヒシクイを捕獲して首輪標識をつけること.
 首輪標識をつけたオオヒシクイが今年の冬以降に日本に来たら,観察した人が雁の里親友の会に連絡をする.このデータをつなぎあわせると一羽ずつのオオヒシクイの動きがわかる.

3■調査行程

6月28日

新潟からハバロフスクへ

6月29日

ハバロフスクからカムチャツカへ

シジュウカラガン繁殖施設に滞在。

7月7日

ユーラと僕だけ自動車でエッソに向かう。カムチャツカ川のほとりで車内泊。

7月8日

エッソから(他メンバーはエリゾボから)ヘリでマエント湖に到着

7月9日

マエント湖を離れズベズドカン湖へ

ズベズドカン湖に滞在、捕獲調査などを行う。

7月19日

エッソを経由してヘリでエリゾボまで戻る。

再びシジュウカラガン繁殖施設に滞在。

7月22日

カムチャツカからハバロフスクへ

7月23日

ハバロフスクから新潟へ


4■調査参加者

<日本からの参加者−6人>
池内俊雄さん  雁の里親の会、雁を保護する会
石田みつるさん 雁の里親の会、雁を保護する会
大畑孝治さん  日本野鳥の会レンジャー 片野鴨池観察館
村上 悟    滋賀県立大学大学院修士1年
伊豆 浩さん  NHK新潟放送局 ディレクター
成塚隆二さん  NHK新潟放送局 技術部(カメラマン)

<ロシアからの調査参加者・協力者>
ユーリ・ゲラシモフさん(愛称:ユーラ) 鳥類研究者
ニコライ・ゲラシモフさん(愛称:ニック)鳥類研究者
サベンコフさん(愛称:ワロージャ)哺乳類研究者、キャンプでの料理長
エリダさん   外国語専門学校生、通訳・料理
アラさん    ニックの奥さん
イーゴリさん  ユーラの弟さん

5■調査結果

7月10日,7月12日,7月18日の3回捕獲を行ない,オオヒシクイ36羽,亜種ヒシクイ2羽に標識首輪をつけた.今年標識をしたオオヒシクイの標識番号は

K00, K01, K02, K03, K04, K05, K06, K07, K08, K09
 (この10個が琵琶湖水鳥・湿地センターで購入したもの)

K10, K11, K12, K13, K14, K15, K16, K17, K18, K19
 (この10個は加賀市鴨池観察館で購入したもの)

K20, K21, K22, K23, K24, K25, K26, K27,
K30, K31, K32, K33, K34, K35, K36, K50

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6■調査体験記

◇ 6月28日 ◇

 夜中1時20分、米原駅。ぎりぎりではあったが準備は整った。まだ風邪が治りきっていなくて体調は万全とは言えないが、とにかく出発である。夜行列車「急行きたぐに」に乗り込んで新潟へ向かう。自由席はかなり寝づらかったが、小さく横になったらなんとか眠りにつけた。

 目を覚ますと、向かいの席で細身のおやじが「新潟日報」を読んでいた。新潟駅からバスで空港へ。新潟空港で大畑さんと合流、NHK新潟放送局の石原ディレクターより衛星電話機を受け取って、新潟空港からハバロフスクへ。衛星電話は前半の繁殖地調査のときにも持ちこむ予定だったのだが、税関でとりあげられてしまった。そこで今回はモスクワから許可を得て再び持ちこみに挑戦。ただし許可証の原本が間に合わず、ファックスで送られてきたコピーで通してもらえるか不安を抱きながら出国。
 ハバロフスクに到着後、旅行会社カムチャツカ開発の山口氏にも協力していただき、ハバロフスクの税関で衛星電話機とモスクワからの許可証のコピーを提示するも、コピーではだめだと拒否される。カムチャツカ開発の現地スタッフも懸命に交渉してくれたが一度「だめ」と言ったらとことんだめらしい。
 山口氏の提案やホテルから新潟放送局へ相談した結果、モスクワから許可証を新潟へ送ってもらい、3日後の便でハバロフスクに来られる山口さんのお知り合いに、その許可証を持ってきていただくことになった。
 カムチャツカ開発の現地スタッフの2人の女性は、23時頃までこの交渉に付き合ってくれた。

◇ 6月29日 ◇

 国内便でハバロフスクからカムチャツカの州都ペテロパブロフスクカムチャツキー(以下「ペテロ」)へ(実際には空港はペテロの隣町、エリゾボにあり、空港からペテロ市街までは自動車で30分弱かかる。[類似例]東京ディズニーランドは浦安にある)。飛行機から見えた、山の残雪が描くすじ状の模様が美しかった。
 空港ではユーラと娘さんが迎えに来てくれた。エリゾボのシジュウカラガン繁殖施設へ到着。前半のオオヒシクイ繁殖地調査から滞在している日本のメンバー4人(池内、石田、伊豆、成田)と合流。

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シジュウカラガン繁殖施設

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パラトゥンカの親子

◇ 6月30日 ◇

 朝、聞き慣れない鳥たちの声の中で目覚めた。施設内を歩き回ってみる。シジュウカラガンのほかにもサカツラガン1番とその雛2羽、オオヒシクイ3羽と亜種ヒシクイ1羽が飼われていてびっくりした。サカツラガンは近づくと盛んに首を低くして威嚇して来た。
 昼からはカードゲームをしたり本を読んだりして時間をつぶす。旅行の準備からずっと休みがなかった僕もやっと一息つけた。

◇ 7月1日 ◇

 夕方、イーゴリ(ユーラの弟さん)に連れられ、アラさん(ニックの奥さん)と大畑さんと一緒にパラトゥンカ(温泉を使った温水プール)へ行く。途中で見た、道沿いに広がるじゃがいも畑と遠くに雪をいただく山々、雪解け水の流れる川、馬に乗ったりしている人々の姿が印象的だった。
 パラトゥンカでは、ゆったり浸かるおばちゃんあり、飛び込む子供あり、赤ちゃんをあやすお母さんあり、世間話をするおじさんあり、べったりぴったりの恋人同士ありで、なんだか日本の銭湯を思わせてうれしくなった。
 この日、伊豆さんが無線電話の受け取りのためにハバロフスクへ戻る。

◇ 7月2日 ◇

 イーゴリにくっついて、シジュウカラガンの餌採りを手伝う。といっても、近所に生えているスギナを採りまくるだけ。まさかシジュウカラガンがスギナを食べるとは思わなかった。餌となる植物はスギナを含めて3種類だそう。これにユリカモメの卵などを混ぜて与えている。
 外に出たいと何度も言ってたせいか、夜、ユーラがペテロにある自宅へ僕を連れていってくれた。
 途中、道路がコリャーク山(ペテロの脇にそびえる、富士山のような形の山)に向かって真っ直ぐ走っている部分があって、すごく気持ち良かった。
 ユーラのフラット(マンション)は、階段までは薄暗くて落書きがいっぱいだけれど、家の中はかなりこぎれいだった。物にあふれてはいないけれど、これだけあれば十分満足に生活できそうだな、と思った。
 密猟取締り官(?)のセワさんとそのガールフレンドもやってきて、ロシアのビール7種類を飲み比べる。どれもそこそこの味だったが、「カムチャツカNo.1」とかいう名のビールはおいしくなかった。

◇ 7月3日 ◇

 エリゾボに戻る前に、郵便局で絵葉書を買う。といっても、カムチャツカの写真の絵葉書はほとんどなく、大半は花の絵や写真。仕方がないのでバースデーカードなども買う。
 繁殖施設に戻って、池内さんにこれまでのガンを保護する会および里親の会の歩みや現状についてお話を聞く。
 晩御飯は鶏肉のバーベキューだった。ジューシーでとってもおいしかった。

◇ 7月4日 ◇

 伊豆さんが衛星電話を無事入手して戻ってきた。
 エリゾボの自由市場へ連れていってもらう。食料品、衣料品、雑貨、大工道具、音楽テープから植物の種まで、生活に必要なものがひととおりそろっている。活気もあって、「物不足のロシア」というイメージが一掃された。ミュージックテープを何本か買った。

◇ 7月5日 ◇

 オオヒシクイにつける標識の首輪を丸めてみる。沸騰したお湯で温めて柔らかくし、木の棒に巻きつけて外に出して固める。100個中22個できた。
 また、今日はみんなで2度目のパラトゥンカへ行った。今日のは前回よりも広くて温かかった。

◇ 7月6日 ◇

 首輪をすべて丸め終えた。
 作業中、今回の生き物地球紀行のナレーターは柳生さんがよいか宮崎さんがよいかでやや熱めの論争。

◇ 7月7日 ◇

 ユーラと僕が一足先に調査地に向けて出発。
 もともとはエッソ(エリゾボから数百キロメートル北の、ヘリポートがある山間の町)まで自動車で行く予定だったが、これまでの話し合いの結果、エリゾボから直接ヘリで行けることになった。しかし帰りは自動車で帰ることになっていたので、ユーラは自動車でこの日にエッソに向けて出発。僕もいろんな景色を見たいのでユーラに同行することにした。
 道はダートとはいえ、かなりきれいに整備されており、道幅も広くて爽快だった。景色も単調ではあるが美しかった。広大な草原や森林の中にぽつぽつと立っている送電線などの人工物が、なんとなくかわいらしく見えた。途中、須川さんたちが昨年にバンディングを行ったポイントを通りすぎた。
 晩はカムチャツカ川のほとりで眠った。食事をしていると片足ずつに20匹ほどの蚊がたかる。自動車も少し空けた間に100匹ほどが入っていた。蚊取り線香を焚いて車内で寝る。

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午前3時

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マエント湖

 夜中の3時くらいに目が醒めて、外に出る。満天の星空。太陽が沈み切らないので少し明るいが、それでも七夕は十分楽しめた。日本では今日は特別な日なのだと、ユーラに七夕のことを説明しようとしたが、うまく説明し切れなかった。

◇ 7月8日 ◇

 昼過ぎ、エッソに到着。すでにエリゾボからのヘリは到着していた。ここでエリダさんとも合流し、全員そろってマエント湖へ。マエント湖はもともと行く予定ではなかったが、ゲラシモフ親子によると最近ここでガンが増えたという情報があり、ぜひ確認に行きたい(&できたら捕獲もしたい)とのことで、マエント湖を訪れた。上空から亜種ヒシクイが2,000羽ほど確認できた。
 マエント湖はものすごい強風。冬用の服装になってもまだ寒い。15年ほど前の調査で残されたゴム長靴や缶、木の破片がまだ残っていた。
 とりあえずテントを立て、夕食を食べて眠る。

◇ 7月9日 ◇

 マエント湖の天候が良くなりそうにないので、引き上げてズベズドカン湖へ向かった。こちらでも眼下にオオヒシクイの群れが見えた。また、池内さんはフチュン川にいた亜種ヒシクイと思われる家族の群れ約50羽を見た。
 キャンプの設営をする。

◇ 7月10日 ◇

 朝食の後、さっそく網を張る。エリゾボで切ってきた柳の木を立て、黒く染めた魚用の網を張っていく。湖の近くはぬかるんでいて、かなり足をとられた。
 網を張り終わったとき、ズベズドカン湖にオオヒシクイがいるというので、食事をはさんで捕獲を行った。ユーラが陸上からオオヒシクイを湖面に追い出し、ニックとワロージャさんがボートで追う。オオヒシクイ28羽、ヒシクイ2羽が捕獲できた。池内さんが計測や性別チェックを行いたいと申し出るが、やらせてもらえず、とりあえず鉛中毒の影響を調べるための採血だけを行った。
 放鳥したオオヒシクイが走り去るズベズドカン湖の向こうに、立派な山がポツリと見えた。イチャ川の源となるイチャ山で、条件がよくないとあまり見えないらしい。
 とりあえず琵琶湖から届けたK00K09鴨池から届けたK10K19の首輪をすべてつけることができたので、僕も大畑さんもほっと一安心。
 この日の夕食はとても楽しかった。あまりに気分がよくなったので、キャンプのほとりの湖に夜中11時に飛びこんだ。さすがに寒かった。

調査地の地図(53KB)
調査地の地図.ズベズドカン湖周辺の地図は呉地・柴田(1991)による.
呉地正行・柴田佳秀.1991.カムチャツカ半島のガン.雁のたよりNo.38: 9-18.

◇ 7月11日 ◇

 キャンプの周囲を散歩。フチュン川も見る。
 6月に確認したという、オオハムの巣を見に行く。しかしオオハムの巣はなく、何者かに食べられた卵の殻だけが見つかった。遠くで火事の煙が上がっているのを見た。
photo(31KB)  ワロージャさんたちが朝からフチュン川にサケを採りに行って、夕方にはずた袋に入ったベニザケを持ちかえってきた。
 この日は漁師のお祭りの日だそうで、晩御飯はとれたてのサケを使ったハンバーグや、さくらんぼのシロップを入れたウォッカなど、ごちそうだった。この日ペテロでは盛大なお祭りが行われているらしい。
 暗くなってから、星を見た。人工衛星がよく見えた。
 そんなとき、ワロージャさんが川からの帰りに道に迷い、ニックがキャンプの場所を知らせるために銃をぶっ放した。しかしロシア語もよくわからず、「ワロージャー!」というニックの声と銃声だけを聞いた成塚、石田、村上は、ワロージャさんが熊に襲われたと思いこんで肝を冷やした。

◇ 7月12日 ◇

 2回目の捕獲作戦。
 ズベズドカン湖にはオオヒシクイがいないので、近くの池(ひょうたん池という名がつけられている)からズベズドカン湖まで追いやってくることになった。ゲラシモフ親子と大畑さんと僕の4人で歩いていった。しかしオオヒシクイの姿がなかなか見えない。見えたと思ったら、さらに奥の池に行ってしまった。
 奥まで回りこんでまずはひょうたん池まで追いたてる。群れは全部で1000羽弱だった。半分ほどがひょうたん池に入ったので、ズベズドカン湖へ向かうようにさらにボートで追う。しかしあちこちに逃げてしまい(ある群れはフチュン川の方へ逃げていってしまうという、珍しい逃げ方をした)、結局ほとんどズベズドカン湖には入らず、6時間歩いた疲れがどっと出た。
 ところが夕食を食べた後、ユーラがズベズドカン湖に100羽ほどのオオヒシクイの群れを確認した。僕も数えたところ136羽だった。早速捕獲作戦を行う。しかしニックがボートで追うも、オオヒシクイがばらけてしまい、結局つかまったのは9羽のみだった。
 そのうち4羽はニックが繁殖施設へ連れて帰るというのでケージに入れ、残る5羽を標識、放鳥した。このときは性別のチェックを行った。

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ミツガシワの花

◇ 7月13日 ◇

 朝、ニックとオオヒシクイを載せたヘリが帰っていった。
 昨日はかなり歩いたので今日は休養日。
 ズベズドカン湖で体や服を洗った。続いた風のせいか濁っていたが、それなりに気持ち良かった。
 天気も良かったので周囲の風景や花をビデオや写真に撮った。
 夕方から曇ってきて、雨が降り出した。

◇ 7月14日 ◇

 雨は朝のうちにあがった。
 この日ものんびりした。
 NHKの2人に同行してフチュン川へ散歩。川の中の島にあったカモメの巣では3羽の雛が孵っていた。ワロージャさんがベニザケを獲るのを見学。アヤメの大きな群落を見た。
 18時、伊豆さんの辞令が出るというので、衛星電話を見守る。草原の中で「はい、お受けさせていただきます」と話してる相手は、日本のオフィスにいるのだと思うと、なんとも不思議な感慨にかられてしまった。

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オオハムの卵

◇ 7月15日 ◇

 オオハムの巣を見に、ユーラに連れられて大畑さん、伊豆さんとフチュン川に行く。ゴムボートに乗って、2つの卵の並んだ巣を間近で見た。
 この夜、ユーラと二人でフチュン川を下りに行った伊豆さんが「ええもん見ましたでぇ」と言って帰ってきた。なんでも、亜種ヒシクイの親子200羽ほどの群れをみたそうだ。
 夜、雨が降り出す。

◇ 7月16日 ◇

 雨。
 朝食はどうするんだろうと思いつつ本を読んでいたら、ワロージャさんが雨の中、テントまでカップ麺を持ってきてくれた。よく雨の中で火を炊いてお湯をわかしてくださったと、みんな感謝。
 本を読んだり、カードゲームをしたり、大畑さんと植物のチェックをしたり、笛を吹いたりして過ごす。

◇ 7月17日 ◇

 亜種ヒシクイの撮影のために、ユーラを除いてみんなでフチュン川へ行く。しばらく歩いたあとで、川岸から逃げ出し下流に向かう亜種ヒシクイの親子約40羽の群れを見た。
 そこで、NHKの2人はその地点で待機、ユーラと石田さんが下流から亜種ヒシクイを追いたてて撮影することにした。しかし僕らがキャンプに戻ったときにユーラは一人ででかけており、何時間も待ちぼうけを食ってしまった。
 18時半頃からユーラと石田さんがボートで上ってきたが、20時にはボートだけが到着。どうやら亜種ヒシクイはボートに乗った地点よりもっと下流に逃げていってしまったらしい。

◇ 7月18日 ◇

 明日にはヘリが来るので、実質上の最終日。
 オオヒシクイの3度目の捕獲を行った。
 朝の時点で、ズベズドカン湖に34羽を確認。隣のひょうたん池には数百羽の群れがいたので、これをズベズドカン湖に追い出してから捕獲をすることにした。ひょうたん池の両側を、池内・大畑・伊豆の3人とユーラ・僕の2人に別れて回り込んだ。前回同様にフチュン川の方へ逃げられないように、石田さんもキャンプから少し行ったあたりで待機してもらった。
 しかしこのとき、事件が起こった。
 ヒグマが出たのである。
 僕らを見失った石田さんが双眼鏡で探していると、まっすぐ彼女のほうに走ってくるヒグマを発見してしまった。走って逃げると追いかけられることを聞かされていた彼女は、近くのでこぼこに身を隠した。再び熊を見ると、方向を変えて走り去ったという。
 ユーラも、遠くからこの熊に気づいた。僕も走り去る熊を見た。石田さんが見えなかった僕は、はるか彼方のイチャ山をバックに走っていく熊を見て「かっこいいなぁ」などとのんきなことを考えていた。
 が、さすがに石田さんはそれどころではなく、キャンプに戻ってもしばらくショックを隠せなかった。
 ということもあって、オオヒシクイの追いこみは断念。とりあえずズベズドカン湖にいるものだけを捕獲することにした。再び計数すると、64羽いた。ボートで追いまわすが、やはりかなりばらけてしまい、捕獲できたのは3羽のみだった。性別チェック、採血を行って放鳥した。
photo(18KB)  この日はキャンプ地最後の晩。いつも歌を歌っているワロージャさんが僕らに日本の歌を歌えというので、美しい夕焼けの中「森のくまさん」を合唱した。

◇ 7月19日 ◇

 ヘリが迎えにくる予定の日。
 起きてすぐ、荷物の整理をする。
 14時頃には荷物も整え、カードゲームをしながらヘリが来るのを待っていた。しかし、夕方になっても来ない。もう今日は来ないのかなぁ、と思っていたところに19時頃、突然ワロージャさんの「ヘリコプター!」という声。
 ばたばたと荷物を積み込み、エッソへ。そして予定ならば自動車で帰るはずだったが、そのままエリゾボまでヘリで戻った。ユーラだけは自動車に乗って帰る必要があったので、エッソでヘリを降りた。
 エリゾボに着いたのは23時頃。日は沈んだ後で、夕焼けが美しかった。繁殖施設に戻る車の中で静かに流れていたラジオを聞きながら、あぁ文明のある場所へ戻ってきたなぁ、と思った。
 この日は朝からまともに何も食べてなかったので、帰ったときのアラさんの手料理がひときわおいしく感じた。ニックが出してくれたウォッカも上等品らしく、とてもおいしかった。

◇ 7月20日 ◇

 みんなでペテロへ出かけた。お土産屋や本屋、デパート(といっても小さい)を回ってくれた。本屋では地図が買えて満足。
 デパートでは日本製の時計やゲーム機器、ジーンズなどが日本とさほど変わらない値段で売ってあった。

◇ 7月21日 ◇

 イーゴリがアラさんとでかけるときに伊豆さん、石田さんとともにエリゾボの街中に買い物に連れていってくれた。僕は友人から「ロシア人のかぶってる毛皮の帽子を買ってきてくれ」と頼まれていたので、まさかこんな季節には売ってないだろうと思いつつ、イーゴリに相談してみた。するとその辺りのおばちゃんに尋ねてくれて、お店があることがわかった。
 お店にたどりつくと、店の中は毛皮の帽子とコートがずらり。思わず一同、「おぉ。」ともらしてしまった。僕も自分用のがほしくなり、他の2人も一個ずつ買った。なお、帽子の値段は大体3500〜5000円程度。持ちかえった品を見たニックは「安い」と言っていた。
 残った成塚さん、大畑さん、池内さんともう一度この毛皮店を訪れた後、パラトゥンカへみんなで行く。
 水の入れ替えの前日らしく、底がぬめぬめしていたのは気持ち悪かったが、あったかくて気分は良かった。天気もよく、甲羅干しをしているロシア人もいっぱい。若い女の子は足も長くてスタイルもいいのだけど、おばちゃんになるとものすごい太り方をする人がいる、ということを再確認。更衣室では2人がかりでパンツを引っ張り上げてもらってる人もいたとか。

◇ 7月22日 ◇

 カムチャツカの皆さんとお別れの食事をして、一同ハバロフスクへ。
 ハバロフスクのレストランでアサヒスーパードライを飲み、「あぁ、日本の味ぃ」とか言ってさわいでいた。
 ほろ酔いでアムール川のほとりへ散歩。夜のアムール川の岸にはカップルがいっぱい。ディスコミュージックを振りまきながら船がゆっくり動いていた。

◇ 7月23日 ◇

 朝、自由市場と貴金属店、お土産屋で手早く買い物を済ませ、新潟への飛行機に乗る。
 14時頃、日本に戻る。蒸し暑さに思わず「なんじゃこりゃぁ」(松田勇作風)と叫び、タクシーの運転手に笑われる。
 大畑さんは一足先に帰途に。残りは伊豆さん推薦の「宮鮨」でお寿司を食べる。「のっぺ」のおいしさに舌鼓。やっぱり「だし」と「醤油」の微妙な味は日本じゃないと味わえんなぁ、と一同笑みを浮かべる。
 僕はこの晩、伊豆さんのお宅にお邪魔になる。

◇ 7月24日 ◇

 夕方、帰宅。
(疲れが出たのか、その日の晩から腹痛と発熱。)

 ・・・

 とにかく、カムチャツカはスケールが違う、と思いました。湿原も林の広さも、ええ加減さも、味覚も。
 そしてあの草原の中にぽつり立っていると、自分のちっぽけさを感じつつ、「生きてるなぁ」という強い実感を持ちました。
 もう一つ感じたのは、ロシアに対して抱いていた「暗い」とか「まじめ」といったイメージはまったくの偏見だったということ。夏だったせいもあるかもしれませんが、明るい人もいっぱいで、世界中どこへいってもやっぱり人は人、同じ生き物だなぁと実感しました。

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 付録1 ズベズドカン湖とその周辺で確認した鳥類 

   期間:1999.7.9-19
   僕自身の目撃と聞き取り(・で示す)による

  − アビ
  − オオハム     巣確認(川)
  − ヒシクイ(両亜種) 亜種ヒシクイの雛確認(川)
  ・ コガモ      雛確認(ひょうたん池)
  − ヒドリガモ
  ・ オナガガモ
  − スズガモ
  − クロガモ
  ・ シノリガモ
  − ウミアイサ    巣確認(ハイマツの下)
  ・ ハヤブサ
  − ハヤブサsp
  − ヌマライチョウ  巣確認(平原)
  − ムナグロ
  − ウズラシギ
  − ハマシギ     雛確認(平原)[聞き取り情報]
  − アオアシシギ   川に近づくと警戒音を発して飛びまわった。
  − チュウシャクシギ
  − クロトウゾクカモメ
  − シロハラトウゾクカモメ
  − ユリカモメ
  − カモメ      巣・雛確認(川)
  − アジサシ
  − ツメナガセキレイ
  − セジロタヒバリ
  ・ ノゴマ
  ・ シマセンニュウ
  ・ マキノセンニュウ
  − ムジセッカ
  − ツメナガホオジロ 雛確認(平原)
  − カワラヒワ
  ・ ベニヒワ
  − アカマシコ
  ・ ギンザンマシコ
  − ハシボソガラス

 付録2 マエント湖とその周辺で確認した鳥類 

   期間:1999.7.8-9
   自身の目撃と聞き取りによる

  − アビ
  − ヒシクイ
  − ミコアイサ
  − オオワシ
  − ハマシギ
  − オバシギ
  − クロトウゾクカモメ
  − シロハラトウゾクカモメ
  − オオセグロカモメ
  − カモメ
  − ツメナガセキレイ
  − ツメナガホオジロ

 付録3 ズベズドカン湖周辺で名前のわかった植物 

 すべて大畑さんが、自身のお持ちになった図鑑をもとに調べられました。
 参照した図鑑:鮫島惇一郎他「新版 北海道の花」北海道大学図書刊行会,1993

  − アヤメ
  − アザミsp
  − エゾゴゼンタチバナ
  − エゾマルバシモツケ
  − ガンコウラン
  − キバナシオガマ
  − ギョウジャニンニク
  − コケモモ
  − スギナモ
  − タカネノシオガマ
  − チシマヒョウタンボク
  − チシマフウロ
  − ツマトリソウ
  − ツルコケモモ
  − ナガバノシロワレモコウ
  − ナガバノモウセンゴケ(?)
  − バイケイソウ
  − ハイマツ
  − ヒメイソツツジ
  − ホロムイイチゴ
  − マイヅルソウ
  − ミツガシワ
  − モウセンゴケ
  − ヤチヤナギ
  − ワタスゲ

 付録4 ズベズドカン湖周辺で見かけたその他の生物 

・・・図鑑も何もないのでぐんと信憑性が落ちております・・・

 蝶類
 =3、4種確認。シジミチョウとヒョウモンチョウを含む。
  (現在、大畑さんが専門家に標本を渡して同定をお願いされています。)

 トンボ類
 =1種は確認

 アリ
 =塚を作るアリ

 ハチ
 =ハナバチがいた。

 魚
 =川にベニザケ、湖にトゲウオの仲間

 キノコ
 =数種類

 哺乳類
 =ヒグマ、キツネ、ネズミ、アンダートラ(ネズミの仲間で川を泳ぐやつ)
  レミング、カワウソ(だと思う)

 付録5 持参品リスト 

   持っていったものの中で不要だと感じたものには×をつけました。
   また、持っていかなくて必要性を感じたものには#をつけました。

  ◆ キャンプ用品 ◆
   − テント
   − シュラフ
   − シュラフカバー
   − アルミマット
   − エアマット
   − 携帯用三脚椅子
   − 細引き(ロープ)30m  ・・これほど長いものは必要なかった
   × ストーブ(キャンプ用コンロ)

  ◆ 衣服 ◆
   − フリースの帽子
   − 薄手のつば付き帽子

   − フリースの上着
   − 薄手のセーター
   − トレーナー
   − 長袖登山用シャツ 2枚 ・・・1枚でよかった
   − 長袖丸首シャツ 2枚
   × 下着のベスト
   − 半そでTシャツ 6枚

   − 綿ズボン 3本
   − 短パン(水着兼)
   − 裏地起毛のズボン
   − 夏用パジャマ(下のみ)
   − パンツ 5枚  ・・・3枚でよかった
   − おやじのパッチ

   − 木綿靴下 3本
   − 登山用靴下
   − ウィックロンの靴下
   × 毛の登山用靴下
   − 先割れ靴下(ヴェイダー用)2本

   × マフラー
   − タオル
   − 日本手ぬぐい
   − バンダナ

   − トレッキングシューズ(普段の靴)
   − ゴムぞうり
   − もも長(ヴェイダー)

  ◆ 雨具類 ◆
   − ゴアテックス雨具上下
   − 折りたたみ傘
   − ゴアソックス
   − ザックカバー
   # ショートスパッツ

  ◆ 書類・筆記用具 ◆
   − パスポート
   − ビザ
   − 招待状・バウチャー・ビザのコピー
   − ドル紙幣
   − 英和・和英辞書
   − 会話集(簡単な辞書つき)「地球の歩き方 旅の会話集7
     ロシア語」
   − ロシア語の本「NHKCDブック
      すぐに役立つはじめてのロシア語」
   − 自分の本2冊 「社会学感覚 増補版」「現代思想の冒険」
   − 野帳
   − マジックペン
   − ペンセット

  ◆ 観察用品 ◆
   − 双眼鏡
   − 野帳図鑑「山渓ハンディ図鑑7 日本の野鳥」
     ・・英名と学名が載っているのでコミュニケーションに便利
   # 野草図鑑 ・・北海道のものでだいたいいける感じ。

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